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東園基昭の「一粒万倍日記」2026.9.14
《タイトル》「森の下露(もりのしたつゆ)」《サイズ》F0号(180 × 140mm)《作品内容》ミミズクのシルエットに、菊花、片輪車に流水紋様。 第四十回目『重陽に寄せて』 九月九日は重陽の節句であった。陽数の極みたる「九」が重なるこの日、古来より人々は菊の力を借りて邪気を払い、不老長寿を願ってきた。平安の宮中では「被せ綿」という雅な習わしがあった。前夜、菊の花に真綿を被せて香りと夜露を移し、翌朝その綿で肌を拭う。白菊には黄の綿、黄菊には赤、紫菊には白と、色の重なりにまで美意識を通わせた先人の心根に、あらためて思いを致す。 この行事の核にあるのは、目に見えぬ生命力を「香り」という媒体を通じて身に受け取ろうとする発想である。香りには七つの系統があるという。フローラルの優雅、シトラスの清々しさ、ウッディの落ち着き、オリエンタルの妖艶、それぞれが纏う気配は、言葉にできぬ印象を確かに人へ手渡す。 香道ではこれを「聞く」と言う。嗅ぐのではなく、聞く。香木の香りは刻一刻と移ろうゆえ、心を鎮め五感を澄まさねば、その機微は掬い取れない。 香水で例えるなら、トップノートの第一印象から、ミドルノートの核心、そしてラストノートの余韻へ、香りもまた時間という物語を持っている。 思えば、感情もまたこれに似ている。胸中に生まれた漠とした揺らぎを、そのまま抱え込むのではなく、言葉にし、形にし、行動へと移す。「聞香」の精神で自らの内なる香りに耳を澄ませたとき、モヤモヤは輪郭を持ち、次に進むべき道が霧が晴れるように見えてくる。感情を具現化することは、己と誠実に向き合う作法にほかならない。 重陽の節句で被せ綿の綿を肌に当てるように、今日という日の空気を聞いてみてはどうだろうか。季節の移ろいも、心の揺らぎも、丁寧に受け止めれば、それはやがて馥郁たる香りとなって、日々を豊かに満たしてくれる。 毎日が、そんな優しい香りに包まれた幸福なものでありますようにと金風に思いを巡らす。東園基昭拝 [参考]馥郁(ふくいく)とした香りとは、よい香りがあたりに満ちあふれている様子。
東園基昭の「一粒万倍日記」2026.9.14
《タイトル》「森の下露(もりのしたつゆ)」《サイズ》F0号(180 × 140mm)《作品内容》ミミズクのシルエットに、菊花、片輪車に流水紋様。 第四十回目『重陽に寄せて』 九月九日は重陽の節句であった。陽数の極みたる「九」が重なるこの日、古来より人々は菊の力を借りて邪気を払い、不老長寿を願ってきた。平安の宮中では「被せ綿」という雅な習わしがあった。前夜、菊の花に真綿を被せて香りと夜露を移し、翌朝その綿で肌を拭う。白菊には黄の綿、黄菊には赤、紫菊には白と、色の重なりにまで美意識を通わせた先人の心根に、あらためて思いを致す。 この行事の核にあるのは、目に見えぬ生命力を「香り」という媒体を通じて身に受け取ろうとする発想である。香りには七つの系統があるという。フローラルの優雅、シトラスの清々しさ、ウッディの落ち着き、オリエンタルの妖艶、それぞれが纏う気配は、言葉にできぬ印象を確かに人へ手渡す。 香道ではこれを「聞く」と言う。嗅ぐのではなく、聞く。香木の香りは刻一刻と移ろうゆえ、心を鎮め五感を澄まさねば、その機微は掬い取れない。 香水で例えるなら、トップノートの第一印象から、ミドルノートの核心、そしてラストノートの余韻へ、香りもまた時間という物語を持っている。 思えば、感情もまたこれに似ている。胸中に生まれた漠とした揺らぎを、そのまま抱え込むのではなく、言葉にし、形にし、行動へと移す。「聞香」の精神で自らの内なる香りに耳を澄ませたとき、モヤモヤは輪郭を持ち、次に進むべき道が霧が晴れるように見えてくる。感情を具現化することは、己と誠実に向き合う作法にほかならない。 重陽の節句で被せ綿の綿を肌に当てるように、今日という日の空気を聞いてみてはどうだろうか。季節の移ろいも、心の揺らぎも、丁寧に受け止めれば、それはやがて馥郁たる香りとなって、日々を豊かに満たしてくれる。 毎日が、そんな優しい香りに包まれた幸福なものでありますようにと金風に思いを巡らす。東園基昭拝 [参考]馥郁(ふくいく)とした香りとは、よい香りがあたりに満ちあふれている様子。