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【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.7.6/7】

【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.7.6/7】

《タイトル》 「石橋(しゃっきょう)」《サイズ》P10号(530 × 410 mm) 《作品内容》ライオンのシルエットに花車(牡丹、菖蒲、菊)、ちもとの桜、梅の汀紋様。タイトルは能楽の演目より。 第二十九回目『渡る心のミルキーウェイ』 心とは、目に見えぬ空気のようなものかもしれない。触れることも計ることもできないからこそ、人はその扱いに戸惑う。けれど、気の持ちようひとつで、世界の見え方は変わっていく。同じ現実であっても、それを嘆く人と、そこから何かをつかみ取る人とでは、歩んでいく道もおのずと違ってくるのだろう。 感情は理性によってある程度は制御できる。ただ脳は自分に都合のよいように記憶を少しずつ歪め、時には作り変えてしまうことがある。だから「正しい」「間違っている」という判断も、実は絶対的な事実というより、その人の心の状態が映し出した影のようなものであることが多い。好意がすれ違い、思いがけず誤解を招いてしまったとき、まず疑ってみたいのは相手の心よりも、自分自身の記憶や解釈かもしれない。怒りや失望に任せて決めつける前に、少し一呼吸を置いて、事実と感情をそっと切り分けてみる。相手を変えようとするより先に、自分の見方を少し正してみる。それだけで、すれ違いの多くは思いのほか自然にほどけていくものである。 投げられた石にとって、昇っていくことも落ちていくことも、善悪ではなく、ただ自然の理に従っているだけの現象なのだと思う。結果に一喜一憂せず、その理を受け入れる心のほうが、結局は強い。 能「石橋」でも、獅子が華やかな舞を見せる前には、狭く長い、深い谷にかかる危うい橋を渡らねばならないという教えがある。困難という橋を渡りきったその先に、明るく晴れやかな舞台が待っているのであって、橋そのものを恨んでも仕方がないのかもしれない。飛んでくる批判の石さえも、受け止め方次第で、いつか自分を支える城壁になっていく。 心技體を極めるとは、心と頭と五感を尽くしながら、焦らず、芯を曲げずに物事と向き合う姿勢を、少しずつ鍛えていくことなのだろう。素直に、ありのままを見つめ、私心なく、日々を新しい気持ちで過ごす。すれ違いも困難も、突き詰めれば自然の理の一部にすぎない。それを受け入れながら、自分の心の持ちようを整えていくこと。 それこそが、まるで宇宙に散りばめられた星々が幸せに向かって軌道修正しながら巡り続けるように、ひとつの道であるように思う。東園基昭 拝

【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.7.6/7】

《タイトル》 「石橋(しゃっきょう)」《サイズ》P10号(530 × 410 mm) 《作品内容》ライオンのシルエットに花車(牡丹、菖蒲、菊)、ちもとの桜、梅の汀紋様。タイトルは能楽の演目より。 第二十九回目『渡る心のミルキーウェイ』 心とは、目に見えぬ空気のようなものかもしれない。触れることも計ることもできないからこそ、人はその扱いに戸惑う。けれど、気の持ちようひとつで、世界の見え方は変わっていく。同じ現実であっても、それを嘆く人と、そこから何かをつかみ取る人とでは、歩んでいく道もおのずと違ってくるのだろう。 感情は理性によってある程度は制御できる。ただ脳は自分に都合のよいように記憶を少しずつ歪め、時には作り変えてしまうことがある。だから「正しい」「間違っている」という判断も、実は絶対的な事実というより、その人の心の状態が映し出した影のようなものであることが多い。好意がすれ違い、思いがけず誤解を招いてしまったとき、まず疑ってみたいのは相手の心よりも、自分自身の記憶や解釈かもしれない。怒りや失望に任せて決めつける前に、少し一呼吸を置いて、事実と感情をそっと切り分けてみる。相手を変えようとするより先に、自分の見方を少し正してみる。それだけで、すれ違いの多くは思いのほか自然にほどけていくものである。 投げられた石にとって、昇っていくことも落ちていくことも、善悪ではなく、ただ自然の理に従っているだけの現象なのだと思う。結果に一喜一憂せず、その理を受け入れる心のほうが、結局は強い。 能「石橋」でも、獅子が華やかな舞を見せる前には、狭く長い、深い谷にかかる危うい橋を渡らねばならないという教えがある。困難という橋を渡りきったその先に、明るく晴れやかな舞台が待っているのであって、橋そのものを恨んでも仕方がないのかもしれない。飛んでくる批判の石さえも、受け止め方次第で、いつか自分を支える城壁になっていく。 心技體を極めるとは、心と頭と五感を尽くしながら、焦らず、芯を曲げずに物事と向き合う姿勢を、少しずつ鍛えていくことなのだろう。素直に、ありのままを見つめ、私心なく、日々を新しい気持ちで過ごす。すれ違いも困難も、突き詰めれば自然の理の一部にすぎない。それを受け入れながら、自分の心の持ちようを整えていくこと。 それこそが、まるで宇宙に散りばめられた星々が幸せに向かって軌道修正しながら巡り続けるように、ひとつの道であるように思う。東園基昭 拝