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【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.7.31】
《タイトル》 「凛然(りんぜん)」 《サイズ》P4号(333 × 220mm) 《作品内容》「凛」の漢字のシルエットに、松、雪芝、梅紋様。「凛然」とは、物事が勇ましく凛々(りり)しいさま、身震いするほど寒さが厳しい様子、また態度や気質が気高く心が引き締まる様子を意味する。 第三十三回目『追慕の欠片』 「図(ず)に乗る」という言葉は本来悪い意味ではなかった。仏教の儀式で僧侶が唱える声楽「声明(しょうみょう)」における「図」とは、転調の技を極め、声が思い通りに乗ることを言った。狙った調子に見事に乗る、それは技術の証だった。しかしいつしか、うまくいった者への羨望からか、言葉は反転し、いい気になって図々しく振る舞うことを指すようになった。技が呼び水となり、妬みが意味を書き換えた。 妬みは私怨に変わる。恨みは晴らすためにあるのではなく、抱えたまま腐らせるためにあるのでもない。自分が圧倒的に成功して見返すこと、あるいは正当な手段で対処すること。恨みの熱量を、そのまま生きるエネルギーに変換できるかどうかが分かれ道になる。しかし全身に深紅に染まった焔を纏うような熾烈なエネルギーを、はたしてコントロールできるのだろうか。 だが人はひとりで赤く染まるわけではない。朱に交われば赤くなる、というが、それは環境や仲間の影響を免れないという戒めであり、同時に希望でもある。私の母校の師である松尾敏男先生は「朱の中で赤く染まるのではなく、朱そのものになりたい」と語られた。画業六十年を迎えてなお「私に安定の時機が訪れることはないでしょう」と仰った、その言葉の潔さを今も思い出す。 染まることを恐れるなら、交わりを絶てばいい。しかし「荘子」の説く淡交、すなわち君子の交わりは淡きこと水の若しという教えは、染まらぬための処方箋だった。利益にも情にも執着せず、水のように淡々と流れる交わり。そこには馴れ合いも、私怨の入り込む隙もない。 眩い夏の光明に誘われ調べて聴いた「接触」という曲が、それから片時も耳から離れなかった。ぶつかり合いながらも玲瓏と響く、その矛盾した響きに、人と人との関わりそのものを見た気がした。染まることも、傷つくことも、接触の代償なのかもしれない。 欠けた茶碗は元の表情とは変わってしまうけれど、金継ぎのように治してまた別の風合いを出せる。違う茶碗同士を組み合わせたり、また穴があいたならば鉢となって花や草木を支えつつ新たな歩みを始める。 素晴らしい器は、たとえ粉々に砕かれ土に埋もれ、その有り様は変わっても、陶片が人目にとまれば再会への扉が開く。 避暑の候、つなぎ目に佇む陰翳礼讃の艶に、刹那の面影を垣間見た。東園基昭拝
【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.7.31】
《タイトル》 「凛然(りんぜん)」 《サイズ》P4号(333 × 220mm) 《作品内容》「凛」の漢字のシルエットに、松、雪芝、梅紋様。「凛然」とは、物事が勇ましく凛々(りり)しいさま、身震いするほど寒さが厳しい様子、また態度や気質が気高く心が引き締まる様子を意味する。 第三十三回目『追慕の欠片』 「図(ず)に乗る」という言葉は本来悪い意味ではなかった。仏教の儀式で僧侶が唱える声楽「声明(しょうみょう)」における「図」とは、転調の技を極め、声が思い通りに乗ることを言った。狙った調子に見事に乗る、それは技術の証だった。しかしいつしか、うまくいった者への羨望からか、言葉は反転し、いい気になって図々しく振る舞うことを指すようになった。技が呼び水となり、妬みが意味を書き換えた。 妬みは私怨に変わる。恨みは晴らすためにあるのではなく、抱えたまま腐らせるためにあるのでもない。自分が圧倒的に成功して見返すこと、あるいは正当な手段で対処すること。恨みの熱量を、そのまま生きるエネルギーに変換できるかどうかが分かれ道になる。しかし全身に深紅に染まった焔を纏うような熾烈なエネルギーを、はたしてコントロールできるのだろうか。 だが人はひとりで赤く染まるわけではない。朱に交われば赤くなる、というが、それは環境や仲間の影響を免れないという戒めであり、同時に希望でもある。私の母校の師である松尾敏男先生は「朱の中で赤く染まるのではなく、朱そのものになりたい」と語られた。画業六十年を迎えてなお「私に安定の時機が訪れることはないでしょう」と仰った、その言葉の潔さを今も思い出す。 染まることを恐れるなら、交わりを絶てばいい。しかし「荘子」の説く淡交、すなわち君子の交わりは淡きこと水の若しという教えは、染まらぬための処方箋だった。利益にも情にも執着せず、水のように淡々と流れる交わり。そこには馴れ合いも、私怨の入り込む隙もない。 眩い夏の光明に誘われ調べて聴いた「接触」という曲が、それから片時も耳から離れなかった。ぶつかり合いながらも玲瓏と響く、その矛盾した響きに、人と人との関わりそのものを見た気がした。染まることも、傷つくことも、接触の代償なのかもしれない。 欠けた茶碗は元の表情とは変わってしまうけれど、金継ぎのように治してまた別の風合いを出せる。違う茶碗同士を組み合わせたり、また穴があいたならば鉢となって花や草木を支えつつ新たな歩みを始める。 素晴らしい器は、たとえ粉々に砕かれ土に埋もれ、その有り様は変わっても、陶片が人目にとまれば再会への扉が開く。 避暑の候、つなぎ目に佇む陰翳礼讃の艶に、刹那の面影を垣間見た。東園基昭拝