
《タイトル》
「虚空(こくう)」
《サイズ》
M3号(273 × 160mm)
《作品内容》
ドリンクボトルに花瓶に花、波、「駒」の字紋様。
第二十回目
『新緑の街並み』
4月に入り新生活がはじまった人も多いと思う。
通勤通学は昔に比べ沿線が繋がったことで便利になった一方、多くの方が利用する分、朝のラッシュや遅延は尋常ではない。
便利になったのか不便になったのか、そんなことを思い車窓からの景色に自然の中でのんびりしたい気持ちになる。
なぜ人は便利さと自然の両方を求めるのか。
人が便利さと自然の両方を求めるのは、その二つが人間の異なる層の欲求に対応しているからだと思われる。
便利さへの欲求は、生存本能の延長線上にある。苦労を減らし、時間を節約し、リスクを避ける。
これは生き物としての合理的な傾向であり、文明そのものが、この方向への累積的な意志の産物とも言える。
自然への欲求は、もっと古い層から来ており、人類は数百万年を自然の中で過ごし、その環境に心身が適応してきた。
都市や画面に囲まれた生活は、進化の尺度ではほんの瞬きほどの歴史しかない。だから土や風や緑に触れると、何か根源的なところが「ほっとする」のかもしれない。
それは記憶というより、もっと身体的な反応である。
この二つが矛盾するのは、便利さが往々にして自然を媒介として除去しようとするからである。
舗装された道路は泥を消し、エアコンは季節を消す。
便利になるほど、人は何か大切なものを失った感覚を覚える。
面白いのは、その「失った感覚」さえも人間を人間たらしめているところだろう。
完全に便利な環境に順応してしまえる生き物なら、自然を懐かしまない。
でも人はそうではない。
あえて一言でまとめるなら、人は「安全でありたい」と「生きていると感じたい」の両方を同時に必要としている、ということかもしれない。
便利さは前者を満たし、自然は後者を呼び覚ます。
芸術を志す者としても安全に良い作品を制作したいが、失敗を恐れず新たな挑戦をすることで、生きている実感を画布に込め、存在の証として颯爽と残していきたい。
東園基昭 拝