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【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.5.5/6】

【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.5.5/6】

《タイトル》 「露華(ろか)」 《サイズ》P6号(410 × 273mm) 《作品内容》ネペンテスのシルエットに、四季の花の短冊紋様。タイトルは「露の光」の意。 第二十三回目『新緑を歩む』 初夏の陽気が少しずつ顔を覗かせ、木々の合間を吹き抜ける新緑の風が爽やかに感じられる頃となった。街を行く人々の装いも軽やかになり、その足取りにも颯爽とした気配が漂う。こうした季節の移ろいの中に、日本人が古来より愛でてきた「風流」の心が息づいている。 風流とは、ただ華やかなだけではない。世俗の喧騒を少し離れ、季節の美しさや自然の機微を心ゆくまで楽しむ、そうした精神の余裕を指す言葉だ。平安の昔、この心を誰よりも体現した人物として名高いのが、嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)である。「風流大臣」とも称された彼は、京の六条に広大な邸宅・河原院を構え、遠く陸奥の塩釜から海水を運ばせて庭の池に注ぎ込み、その地の景色を丸ごと再現してみせた。光源氏のモデルのひとりとも言われるその生涯は、栄華と風雅が分かちがたく結びついた、まさに平安的美意識の極みであった。 その平安の雅を現代に伝える行事が、曲水の宴である。遣水と呼ばれる庭園の小川に、おしどりの形をした羽觴(うしょう)を浮かべ、和歌を記した短冊を乗せて流す。川辺に十二単や衣冠束帯姿で座した歌人たちは、盃が目の前を過ぎ去るまでのわずかな時間に歌を詠み、お神酒を口にする。その起源は禊の儀式、つまり水の力で穢れを祓うという、自然への畏敬に由来する。 流れる水、揺れる盃、詠まれる歌。制限された時間の中に美を凝縮するこの遊びは、風流の本質を鮮やかに映し出している。瞬間の美を惜しみなく楽しみ、そして手放す。執着せず、季節とともに流れゆく、そこに颯爽とした気品が生まれる。 初夏の風が頬をなでる。装いを新たに街を歩くとき、ふとその足取りに、千年前の貴族たちと同じ「風流の心」が宿るかもしれない。東園基昭 拝

【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.5.5/6】

《タイトル》 「露華(ろか)」 《サイズ》P6号(410 × 273mm) 《作品内容》ネペンテスのシルエットに、四季の花の短冊紋様。タイトルは「露の光」の意。 第二十三回目『新緑を歩む』 初夏の陽気が少しずつ顔を覗かせ、木々の合間を吹き抜ける新緑の風が爽やかに感じられる頃となった。街を行く人々の装いも軽やかになり、その足取りにも颯爽とした気配が漂う。こうした季節の移ろいの中に、日本人が古来より愛でてきた「風流」の心が息づいている。 風流とは、ただ華やかなだけではない。世俗の喧騒を少し離れ、季節の美しさや自然の機微を心ゆくまで楽しむ、そうした精神の余裕を指す言葉だ。平安の昔、この心を誰よりも体現した人物として名高いのが、嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)である。「風流大臣」とも称された彼は、京の六条に広大な邸宅・河原院を構え、遠く陸奥の塩釜から海水を運ばせて庭の池に注ぎ込み、その地の景色を丸ごと再現してみせた。光源氏のモデルのひとりとも言われるその生涯は、栄華と風雅が分かちがたく結びついた、まさに平安的美意識の極みであった。 その平安の雅を現代に伝える行事が、曲水の宴である。遣水と呼ばれる庭園の小川に、おしどりの形をした羽觴(うしょう)を浮かべ、和歌を記した短冊を乗せて流す。川辺に十二単や衣冠束帯姿で座した歌人たちは、盃が目の前を過ぎ去るまでのわずかな時間に歌を詠み、お神酒を口にする。その起源は禊の儀式、つまり水の力で穢れを祓うという、自然への畏敬に由来する。 流れる水、揺れる盃、詠まれる歌。制限された時間の中に美を凝縮するこの遊びは、風流の本質を鮮やかに映し出している。瞬間の美を惜しみなく楽しみ、そして手放す。執着せず、季節とともに流れゆく、そこに颯爽とした気品が生まれる。 初夏の風が頬をなでる。装いを新たに街を歩くとき、ふとその足取りに、千年前の貴族たちと同じ「風流の心」が宿るかもしれない。東園基昭 拝

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