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【東園基昭の「一粒万倍日記」2025.12.9.】

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「心珠(しんじゅ)」SM(サムホール/227×158㎜) 第二回目『The Shape Of My Heart』 誰と競う訳でもなく、また奪うつもりもなく、日々眈々と自分との勝負をしている。 たまに考え過ぎて気苦労から心が疲れてしまい何かを恨んでしまうこともあるが、身体の疲れと違って心の疲れは単純な事で回復する。 旨いものや好物を口にしたり、美しいものに触れたり、素晴らしい音楽を聞いたり、家族や友人との楽しい会話など、そのたったひとつで心は晴れる。 清々しい心をキープするためには、朝は発見を試み、昼に実行し、夜は一日を振り返って反省し、周りのお蔭様と感謝しつつ、良くやったと自分を誉めて休む。 石に象形文字を刻むが如く、ひとつひとつ研鑽(けんさん)を積むことは、必ず何かしらのかたちでその努力が報われ、軈(やが)て良い日が訪れる証となるであろう。 沈む夕日の儚さがあるならば、昇る朝日の煌めきもある。 芸術とは過去でも未来でもなく、「今」を画くことである。『花は根に、鳥は古巣に帰る』 どんな物事も、最終的にはその本来の場所や本質に戻る。 この先進でありながらも困難が多く混沌とした時代の中で果てしない旅を続けるために、自分なりの勉強をし、品格を高め、人を愛して、表現を止めず、「心の有り様」を探りながら「今」を生きようと思う。東園 基昭 拝《補足》「花は根に」咲いた花は枯れて根元に散り、やがて土の肥やしとなる。これは一つの形が終わり、そのルーツに還ることを表す。「鳥は古巣に帰る」空を飛び回る鳥も、最後には必ず自分の巣に戻る。これはどんなに離れていても、最終的には帰るべき場所や故郷に還ることを示す。しかし、その土地には新しく木や草が生え、また次の花が咲くといったことを繰り返し、鳥は卵を産み、孵化した雛はいずれ巣立ち、大空へと翔び立つといった自然のループが生まれる。《参考》①和歌より『花は根に 鳥はふるすに かへるなり 春のとまりを しる人ぞなき』(崇徳院)春が過ぎれば桜の花は散って根に帰り、鶯は古巣に帰るという。では春はどこに帰るのだろうか。その帰り着く先を知る人はいない。 崇徳院 (すとくいん)は、平安時代後期の75代天皇で、鳥羽天皇の第一皇子である。在位は18年に及ぶが、皇族内の政権争いに巻き込まれ、保元の乱で敗北し讃岐国に流刑された。 天皇として即位したものの、父とされる鳥羽上皇からの愛を受けず、院政からも排除された。 最終的に、崇徳上皇として権力回復を試みたが失敗し、流刑地で写経に励むも朝廷に拒絶さ れ、怒りの中で亡くなる。 死後、その霊は怨霊とされ、明治天皇や昭和天皇が慰霊を行うなど、長年にわたって鎮魂の儀式が続けられた。 この和歌では、望郷の念と孤独に苛まれる中で、季節の移ろいがあるように自分もいつか都へ戻れるのではないかという願いが込められている一方で、春が行き先を持たず消えるように、自分もこのまま消え去るのではないかという不安も表現されている。②能楽の演目より『しらしらと夜も明くれば。これまでなりや旅人よ。暇申して花は根に。鳥は古巣に帰る夢の。鳥は古巣に帰るなり。よくよく弔いてたびたまえ。』(能『箙(えびら)』謡)夜明けが近づき、空が白々と明けてきた。旅人よ、そろそろこれまでにして帰るとしよう。花が枯れて根に帰るように、また鳥は古巣に帰るように、夢の中へと、鳥が古巣に帰るように私も冥界に帰るとしよう。どうか忘れずに、よくよく弔ってください。 勝修羅物と呼ばれる能の一種で、『箙』は、源義経の屋島の戦いを描いた『八島(屋島)』、坂上田村麿の鈴鹿山の朝敵を討ちを描いた『田村』と並ぶ「三大勝修羅」のひとつである。 源平が覇権を争った平安時代の末期に、源氏方の武将で主人公の梶原源太景李(かじわら  の げんた かげすえ)は、多くの合戦で若武者ながら奮戦し、武名を上げる。 一の谷の合戦で、生田川付近で戦った景李が、自身の印である兜を落とされてしまうが、川の畔に咲いていた梅の枝を箙(矢を入れるケース)に挿し、目印として戦ったというエピソードが物語のもとになっている。 瑞々しい若武者と満開に花をつけた梅の枝の取り合わせは、血で血を洗う陰惨な戦闘の場であるからこそ、際立って輝く美を感じさせる。 昔の侍はただ、戦闘に没頭する武骨なだけの存在ではなく、和歌や管弦に秀でる者もおり、風雅な心を解し、美への感受性も高かった者も少なくない。 武将の位にある者たちは、深い教養と独特の美学を持っており、この能の演目でも、そういった侍の美学が深く描写されている。

【東園基昭の「一粒万倍日記」2025.12.9.】

「心珠(しんじゅ)」SM(サムホール/227×158㎜) 第二回目『The Shape Of My Heart』 誰と競う訳でもなく、また奪うつもりもなく、日々眈々と自分との勝負をしている。 たまに考え過ぎて気苦労から心が疲れてしまい何かを恨んでしまうこともあるが、身体の疲れと違って心の疲れは単純な事で回復する。 旨いものや好物を口にしたり、美しいものに触れたり、素晴らしい音楽を聞いたり、家族や友人との楽しい会話など、そのたったひとつで心は晴れる。 清々しい心をキープするためには、朝は発見を試み、昼に実行し、夜は一日を振り返って反省し、周りのお蔭様と感謝しつつ、良くやったと自分を誉めて休む。 石に象形文字を刻むが如く、ひとつひとつ研鑽(けんさん)を積むことは、必ず何かしらのかたちでその努力が報われ、軈(やが)て良い日が訪れる証となるであろう。 沈む夕日の儚さがあるならば、昇る朝日の煌めきもある。 芸術とは過去でも未来でもなく、「今」を画くことである。『花は根に、鳥は古巣に帰る』 どんな物事も、最終的にはその本来の場所や本質に戻る。 この先進でありながらも困難が多く混沌とした時代の中で果てしない旅を続けるために、自分なりの勉強をし、品格を高め、人を愛して、表現を止めず、「心の有り様」を探りながら「今」を生きようと思う。東園 基昭 拝《補足》「花は根に」咲いた花は枯れて根元に散り、やがて土の肥やしとなる。これは一つの形が終わり、そのルーツに還ることを表す。「鳥は古巣に帰る」空を飛び回る鳥も、最後には必ず自分の巣に戻る。これはどんなに離れていても、最終的には帰るべき場所や故郷に還ることを示す。しかし、その土地には新しく木や草が生え、また次の花が咲くといったことを繰り返し、鳥は卵を産み、孵化した雛はいずれ巣立ち、大空へと翔び立つといった自然のループが生まれる。《参考》①和歌より『花は根に 鳥はふるすに かへるなり 春のとまりを しる人ぞなき』(崇徳院)春が過ぎれば桜の花は散って根に帰り、鶯は古巣に帰るという。では春はどこに帰るのだろうか。その帰り着く先を知る人はいない。 崇徳院 (すとくいん)は、平安時代後期の75代天皇で、鳥羽天皇の第一皇子である。在位は18年に及ぶが、皇族内の政権争いに巻き込まれ、保元の乱で敗北し讃岐国に流刑された。 天皇として即位したものの、父とされる鳥羽上皇からの愛を受けず、院政からも排除された。 最終的に、崇徳上皇として権力回復を試みたが失敗し、流刑地で写経に励むも朝廷に拒絶さ れ、怒りの中で亡くなる。 死後、その霊は怨霊とされ、明治天皇や昭和天皇が慰霊を行うなど、長年にわたって鎮魂の儀式が続けられた。 この和歌では、望郷の念と孤独に苛まれる中で、季節の移ろいがあるように自分もいつか都へ戻れるのではないかという願いが込められている一方で、春が行き先を持たず消えるように、自分もこのまま消え去るのではないかという不安も表現されている。②能楽の演目より『しらしらと夜も明くれば。これまでなりや旅人よ。暇申して花は根に。鳥は古巣に帰る夢の。鳥は古巣に帰るなり。よくよく弔いてたびたまえ。』(能『箙(えびら)』謡)夜明けが近づき、空が白々と明けてきた。旅人よ、そろそろこれまでにして帰るとしよう。花が枯れて根に帰るように、また鳥は古巣に帰るように、夢の中へと、鳥が古巣に帰るように私も冥界に帰るとしよう。どうか忘れずに、よくよく弔ってください。 勝修羅物と呼ばれる能の一種で、『箙』は、源義経の屋島の戦いを描いた『八島(屋島)』、坂上田村麿の鈴鹿山の朝敵を討ちを描いた『田村』と並ぶ「三大勝修羅」のひとつである。 源平が覇権を争った平安時代の末期に、源氏方の武将で主人公の梶原源太景李(かじわら  の げんた かげすえ)は、多くの合戦で若武者ながら奮戦し、武名を上げる。 一の谷の合戦で、生田川付近で戦った景李が、自身の印である兜を落とされてしまうが、川の畔に咲いていた梅の枝を箙(矢を入れるケース)に挿し、目印として戦ったというエピソードが物語のもとになっている。 瑞々しい若武者と満開に花をつけた梅の枝の取り合わせは、血で血を洗う陰惨な戦闘の場であるからこそ、際立って輝く美を感じさせる。 昔の侍はただ、戦闘に没頭する武骨なだけの存在ではなく、和歌や管弦に秀でる者もおり、風雅な心を解し、美への感受性も高かった者も少なくない。 武将の位にある者たちは、深い教養と独特の美学を持っており、この能の演目でも、そういった侍の美学が深く描写されている。