
《タイトル》
「白息(しらいき)」
《サイズ》
SM(サムホール)サイズ(227×158㎜)
《作品内容》
コーヒーカップのシルエットに、季節を表した毬の紋様。
背景には鶴と松。
第五回目
『庭の佇まい』
年も明け、早速に初雪が降った。少しではあるが雪化粧に季節を感じる。
下鴨神社では「蹴鞠はじめ」と言って新年の幕開けを彩る蹴鞠奉納が毎年1月4日に行われているそうだ。
蹴鞠らしきものは、雨乞いの儀式と結びついて行われていたと言われる。雨が降らないのは天と地のバランスが崩れているからであり、物が天と地の中間である空中に留まり続けることで天と地の媒介となると考え、毬を空中に蹴り上げる儀式を行なうことで、両者のバランスを取り戻そうとしたという。
バランスとは必ずしも50/50で釣り合うとは限らない。
どのくらいが丁度良いかといった塩梅が必要であり、TPOに応じて、また人それぞれにバランスのあり方や取り方は状況によって変化する。
自然には起伏がありゴルフではアンジュレーションと言うが、プレーの難易度をコントロールするうえでも重要な要素である。平坦に見えるグリーンでも細かな起伏や芝目によって、真っ直ぐ打っても入らない場合がある。
経験と知恵を使いながら導き出された考えを実行し、はじめて成果が出るのだが、コースの設計家との知恵比べである。
庭園もそうであるが、刻々と代わり行く毎日のメンテナンスは、ただ水をまいたりするのではなく、ピンセットで芝を植え直すような繊細さが絶妙なバランスを保つ秘訣であり、いつでも誰でも楽しめるようにと心をもって工夫されている。
芝生は正式には「芝草(しばくさ)」と言い、また芝を敷くことを「芝をふせる」と言う。
これは平安時代の『作庭記』にも見られる古い表現である。
また芝はある程度踏まれる事で根が分かれ、増えて密度が上がる。
「踏まれても 根強く忍べ 道芝の やがて花咲く 春は来ぬべし」
(道端の芝ですら踏まれても我慢強くしていれば、いずれ美しい花が咲く良い春がやって来るだろう)
芝生のように困難に屈せず強く生きていたら、きっと良い時が来ると、この和歌にあるように庭を眺めながら温かいものなど飲めば、心身のバランスが整い清々しい気持ちになる。
東園基昭 拝