
《タイトル》
「夢いちご(ゆめいちご)」
《サイズ》
P4号(333×220mm)
《作品内容》
いちごのシルエットに桜とうさぎ紋様。
第十一回目
『余韻』
「夢現(ゆめうつつ)」とは、夢と現実の境目がはっきりせず、ぼんやりとしている状態や、夢か現実か自分では分からない様子を指す。
路地を歩いていると建物と建物の間が気になる時がある。もしかしたらこの先に別世界があるのではないかと思ったりすると、様々な空想が思い浮かび面白い。
時々自分の全く知らない世界で別人となるような体験をし、それによって今居る世界を違った角度から理解できることに楽しみを覚える。
身の回りの気になるものを漠然と観察していると、まるで騙し絵のように想像と現実の狭間に美しい夢のようなイマジネーションが湧いてくる場合がある。
中国の古い小説「枕中記」では「枕」が重要な役割を果たす。
枕自体に不思議な力が備わっていて、夢幻の世界に引き込み、一種のパラレルワールドを体験させた霊妙なパワーを持つ。
ここで着目したいのは、枕の形状である。
当時の陶磁器の枕は、焼く時に空気を抜くため中は空洞になっており、必ずどこかに穴が空いていて、その穴から夢幻の世界へ入っていった。
「桃花源記」では洞窟の中を進んでいくと、しばらくして目の前が開け別天地が広がっていたとされ、山の内部に太陽も月もあるようなもうひとつの世界が存在していたと記されている。
この世界を「洞天(どうてん)」と言いい、洞窟の中に小宇宙が開けている発想を指している。
「壺中天(こちゅうてん)」では瓢箪の中に世界があり、「小さなものの中により大きなものを呑み込む」、あるいは「閉ざされた狭い空間の中に広大な宇宙を包み込む」といった無限の宇宙観を表している。
絵を制作するうえでも「どんな小さなところにも宇宙がある」ように描くことを心情としており、これをもって如何に観る方を夢のような別世界へ案内できるかがポイントとなる。
こうした夢の世界では長い時間があっという間に過ぎるが、目覚めた現実ではたったの少しでしかなく、世の儚さが窺える。
「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、わたしは真に生きたと云えるほど生きたいのです。」
(芥川龍之介「黄粱夢」より)
冬眠から覚め、その余韻もつかの間に、穏やかな春を望んで様々な夢を抱きたく思う。
東園基昭 拝