【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.8.13】

【東園基昭の「一粒万倍日記」2026.8.13】


《タイトル》
 「龍翔(りゅうしょう)」
 
《サイズ》
P4号(333 × 220mm)
 
《作品内容》
龍のシルエットに、瑞雲紋様。背景に玉(または日、月)、百態寿(ひゃくたいことぶき/寿の字いろいろ)紋様。
龍神が宝の玉を探しに行く寿の旅路。
玉は日や月、未知のブラックホール等とも解釈出来るように、また雲に「今」、寿を「昔」、玉に「未来」をイメージし瑞兆を表現した。


第三十五回目

『宇宙という手のひらの上で』


 夜、ふと手のひらを空に向けてみる。何も乗っていないように見えるその上を、実は一秒に一つ、宇宙から生まれた小さな粒子、ミュー粒子が音もなく通り抜けている。
 その粒子は、電子より二百倍も重いのに、寿命はわずか二百万分の一秒(0.0000005秒)に満たない。本来ならば、大気の上空、地上二十キロほどの高みで生まれた瞬間に消えてしまうはずの命だ。光の速さで駆けても、たどり着けるのはせいぜい数百メートル。地上までは、あまりにも遠い。
 けれどアインシュタインは言った。光速に近づくほど、時間はゆっくりと流れる、と。その予言通り、ミュー粒子は速く走ることで寿命を引き延ばし、本来届くはずのない地上まで、たしかに飛来する。儚いはずの命が、物理法則そのものによって守られ、私たちの手のひらへと届けられている。そう思うと、見えないはずのものが、急に愛おしく感じられてくる。
 見えないもの、といえば、宇宙そのものも同じである。私たちが目にする星や銀河、大地や自分の身体、そうした「見える物質」は、宇宙全体のわずか五パーセントに満たない。残りの多くは、光を発しないダークマターと、宇宙を押し広げるダークエネルギーという、正体不明の存在で占められている。
 つまり私たちは、宇宙のほとんどを「見えないまま」信じて生きている。見えないからこそ確かめようと、世界中の研究者が地下深くに検出器を沈め、強力な磁場の中に目を凝らし、今この瞬間も未来へ手を伸ばし続けている。その営みもまた、ミュー粒子の旅と同じように、儚くも粘り強い。
 宇宙の未来がどう転ぶか、まだ誰にも分からない。膨張が引き裂きに至るのか、静かな凍結に向かうのか、あるいは収縮して一点に還るのか。気の遠くなるような時の彼方の話だ。けれど一炊の夢のごとく、今もこの手のひらを一つの粒子が通り過ぎていくという、その事実だけは確かにここにある。

 見えないものに満ちた宇宙から、見えない旅を経て、間違いなく何かが私たちのもとに届いている。それだけで、今夜はなんだか、少し幸福な気持ちになれる。


東園基昭拝

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