
《タイトル》
「轍迹(てっせき)」
《サイズ》
M3号(273 x 160mm)
《作品内容》
走る馬のシルエットに御所車の紋様。
「轍迹(轍跡 / てっせき・てつせき)」とは、車輪のあと。わだち。または、過ぎ去った事柄の跡。残された跡。
第二十六回目
『面影の後見』
能舞台には、黒い紋付袴をまとい、ひっそりと控える者がいる。後見(こうけん)である。
後見は目立たない。それが役割だ。主役(シテ)の衣装を整え、小道具を渡し、万が一のときは即座に代役を務める。観客の目は主役に向いている。後見の存在に気づく者は少ない。しかしその沈黙の中に、舞台を支えるすべてが凝縮されている。
この「後見」という語は古く、「うしろみ」と読まれた。誰かの背後に立ち、見守る者。親を失った姫君の傍らに静かに寄り添い、名もなく支え続ける存在のことだ。『源氏物語』において光源氏がそうであったように、後見とはただ守るだけでなく、その人の人生の輪郭を陰からかたちづくる役割でもあった。
黒衣(くろご)という様式がある。「舞台上の黒衣は見えない」という約束のもと、全身を黒に包んだ存在は、観客の意識から透明になる。見えているのに、見えない。それは光を遮ることで生まれる「影」の論理に似ている。影が黒く見えるのは、そこに光の情報がないからだ。存在するのに、認識されない空白。後見の黒もまた、その空白としてある。
「玄人(くろうと)」の語源は「黒人(くろひと)」に遡る。白塗りの「素人(しろひと)」に対して生まれた言葉だ。しかし「黒」ではなく「玄」の字があてられたのは、黒よりも奥深く、容易ではない意味合いを持たせるためだったという。玄人は見えないところに技を持つ。その奥行きこそが、黒という色の本質なのかもしれない。
後見は主役と同格か、それ以上の技量を持つ者が務める。その事実を観客は知らない。知らなくていい。舞台はただ美しく、滞りなく進む。それで十分なのだ。
思えば、私たちの日常にも後見はいる。誰かの背後に立ち、気配を消しながら、その人の「場」を整え続ける者が。名を呼ばれることなく、ただそこに在る。
能面の裏が黒く塗られるのは、役者の顔を闇に溶け込ませるためだという。面(おもて)をかけた瞬間、役者はその暗がりの中に消え、役柄だけが前に立つ。後見もまた、己を消すことで舞台を生かす。
消えることが、守ること。
見えないことが、支えること。
「面影」とは、記憶の中に浮かぶ顔や姿のことをいう。
後見の姿は舞台の記憶には残らない。けれど舞台の美しさの中に、確かにその面影は宿っている。
東園基昭 拝